グリーンピースサポーターズクラブ 熊本

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星川淳「地球とともに生きる2」講演録

講演録です。
転載自由ですが、その際は必ずメールでお知らせくださいませ 嬉しい
surfvideo(アット)gmail.com(山口)

図写真入り講演録PDFファイル(別サイトへ移動します)

ここから

星川淳「地球とともに生きる2」講演会

2008/12/14 熊本学園大学

 熊本は僕にとっては第3か第4位の故郷の一つで、ずいぶん昔からご縁のある方も多く、今回は2年ぶりでしょうか、気楽にお話しさせていただきますので、皆さんも気楽に聞いてください。

 2年前に「地球とともに生きる」というタイトルでお話ししました。今日はその続きということで、僕自身の色々やってきたこと考えてきたことと、それからグリーンピースジャパンの事務局長になってちょうど4年目に入ったところなので、その経験や考えたことなども織り混ぜてお話しします。

 今年は、おそらく皆さんの多くがご存知のとおりずいぶんお騒がせしたことがありまして、いろいろと叱られたり、ご批判を受けたり、一方では励まされたり慰められたり、第1部ではあまり触れませんが第2部、第3部では少し立ち入るかもしれません。

 

 第1部はこんな話から入ります。「アクティビスト」「アクティビズム」――あんまり日本語にはパッとならないですよね。日本語では「アクティビスト」は活動家とか運動家と訳されますが、ちょっと違うかな、固すぎるかなと思います。ちょうど先週から今週にかけて、第3回サステナブルデザイン国際会議がありました。これはデザインとサステナビリティつまり持続可能な社会・世界を目指すこととを組み合わせて考える会議で、2つの会場で2回の基調講演をしました。その1回目のタイトルが「アクティビストとしての生き方」でしたが、それとほぼ同じ内容のスライドを使いながらお話しします。
 普通、僕らがこの日本という国で暮していて、社会と関わっていく経路というか道筋というか手段というのは2つあると思います。一つは有権者、納税者としての責任を果たすこと。選挙権が使えるようになると、地方自治体の選挙でも国政選挙でも、その代表を選ぶという方法で社会とコミットする方法があります。これは一応、日本という国は直接民主制ではなく代表民主制というのが制度の上では決まっていて、選挙という形で社会に関わる。一番大きな責任の一つですね。

 もう一つが納税者、つまり税金を納めるという形で、自分の所得税とかを納めるようになったらそれも大きいですし、赤ちゃん、子供でも納税の年齢がくる前にも、すでに消費税みたいな形で、みんなで税金を出し合って暮しているわけです。日本という一つの社会をみんなで支えている、その納税者としての責任が2つめ。

 納税者として社会をどういうふうに作っていくのか、動かしていくのかについて、もう少し補足します。例えば資本主義とか、一方には社会主義とか共産主義といったイデオロギーがありますけど、そういうものを全部取っ払った時に、現代社会で日本も含めて国民国家という普通の国ですね、国連に入っているような国として、社会を営んでいくときに何をしているのか? 一言でいうと、みんなで税金を出し合って、その税金をいかに自分たちのため、あるいは自分たちの生活を支えていくため、よりよい環境を作っていくため、場合によっては自分たちの国だけではなくて世界全体、地球全体をより良くしていくために、自分たちが出し合った税金をどう使うか――そういう競争をしているのだと思います。

もちろん、国によって使い方は様々です。出した税金をどう使うか、どのくらい出し合うかによっても違います。税金の割合も国によって違う。仕組みが違う。一番基本的なところでは、選挙で選んだ代表を通じて、あるいは国によってはもうちょっと違う直接的な選び方、物事の決め方をするところもありますが、とにかくそれらの仕組みを組み合わせて、自分たちの出し合った税金をどう使うかを話し合って決め、それを使うことによって社会を動かしていくというのが、今の地球上で僕らが暮らすときにやっていることです。たいていは国という単位に属しているので、是非はありますね。いい面もあれば、ちょっと窮屈な面もあるけれども、当分こういう国民国家という枠組みの中で、多くの国が民主的な制度の中で出し合った税金を、社会のメンバーみんなで考えて決めて使っていくという責任があると思います。それが上手くいっているか下手かによって、それぞれ社会の形も変ってくるし、果たせる役割も変ってくる。日本がどの程度上手いか下手かは、これからお話ししていきましょう。

 

 もう一つ、普通に暮らしていて社会にコミットしていく、社会と関わっていく形は当然、職業人つまりプロフェッショナルとしての関わりです。ここには学生もいるし、いろいろな仕事を持っている方もおいでです。それぞれが「これが自分のプロフェッション、職能、職業だ」というものを手がかりにして、社会と関わっていますよね。社会に働きかけ、そして自分の人生や能力も充実させていくという意味では職業、プロフェッションは非常に重要なコミットメントです。そこに関わる責任において社会を作り、動かしていくわけです。

 これら二つの他に、では「アクティビスト」「アクティビズム」というのは何が違うかというと、それにプラスして一方では、今暮らしている地域の住民としてのいろいろな問題や責任があって、それにもとづいて何かをする。これは幅が広くて、例えば熊本でしたら熊本市の何々町という単位での問題かもしれないし、場合によっては熊本市の問題かもしれない。もうちょっと広く熊本県の問題だったり、それからさらに日本国の問題だったり、あるいはアジアの問題だったり、もっと広げれば地球全体、グローバルな視野、地球人的な視野で見たときの問題というのもあります。そういう幅の中で、しかし上の二つ、つまり有権者・納税者とプロフェッショナルな関わりではカバーしきれない問題が時々あるんですよね。上の二つだけでは納得のできる関わりにはなっていない、どうも自分としては満足出来ない、なんかもうちょっと言いたい、やりたいことが出てきて、そんなときに「アクティビスト」「アクティビズム」という側面が生まれてくるんだと思います。

 とくに上の二つ以外の三つめの特徴は何かというと、選挙に行ったり税金を払ったりは、わりと間接的な感じがするじゃないですか? これを言いたいから言うということがなかなかできなくて、そこにもうちょっと何かできないのかという欲求不満が生まれる。できないところを満たすために三つめがあるので、「する」「できる」が「アクト(行動)」で結びつきます。その結果、三つめは比較的直接的にある問題についてものを言う、声を出す、あるいは「それはおかしいからこうしたらどう?」と代案を自分たちで示す――そういう様々な形があると思います。とにかく特徴は、上の二つよりも直接的なダイレクト型、ストレートな形をとりやすいのがアクティビストとしての生き方だと思います。


スライドの下のほうに書いてあるのは、1970年代ぐらいからよく言われて、皆さんも耳にタコができるぐらいに聞いているかもしれません。”Think globally, act locally.” 「地球的に考えて地域で行動する」。考え方や言葉としてはピタッと言い得ているところがあります。ところが一方では、僕自身もだんだんお話ししていくように、屋久島という場所で25年以上暮らし、その他にもいろんな場所でこの言葉をずっと自分の中で咀嚼しながら生きてきたり、行動してきたりして、たしかに地球的に考えて地域で行動するというのは言えてるんですが、じゃあそれでいいのかというと、実際の現場ではそんな綺麗事でもないんですね。

 地球的に考えることと、地域で行動することの間にギャップがあったり、距離があったり、あるいは摩擦があったりして、一筋縄にはいきません。皆さんも思い当たる節があるでしょう。ここで改めてこの言葉を引用するのは、本当にそうなのか、綺麗事じゃすまないけれども大切だし、そこのところをどうするのか、という問題意識で出してみました。

 

 1982年から屋久島に移り住み、「半農半著」と自称していたのを、若い友人の塩見直紀さんが最近「半農半X」と普遍化していますが、ほんとに長い間、半分半分の暮らしぶりでした。僕の場合、「X」の部分は本を書いたり訳したりすることが一応天職と言えるプロフェッションで、それが半分。もう半分は、家族でなるべく安全な納得のいくやり方で食べ物を作るという生活をしていたわけです。「屋久島に行ったことのある方、おられますか?」「結構少ないな(笑)」。森でよく知られていますが、僕にとっては森も素晴らしいけれども水の島でね。地球の水循環という、水が蒸発して、また雨になって降って、森や大地を潤し、川になって流れて海に帰る循環が、目の前でぐるぐるぐるぐる、毎日実際に巡っているのが見られる島です。しかも、その水がほんとに綺麗なまま流れている島で25年以上暮らし、今でも本来の家と農園はそのまま屋久島にあって、住民票も屋久島に置きっぱなしなんですよ。ですから、なんとなく根は生えたままで、グリーンピースの仕事は長い出張のつもりでやっています。(笑)

 屋久島という個別な場所に根を張っているというより、地球の自然がものすごく色濃く現れている屋久島という場を通じて地球に根が生えているという感じが自分ではしていますけれど、そういうところに25年もいますと、どうしても口をはさんだり、ちょっと待ってよと言ったり、手を出したりせざるをえないことが何度かありました。普段はごくおとなしく生活していて、とくに「アクティビズム」をやるために屋久島に移り住んだわけではなくて、ほんとに静かに家族と暮らし、その中から本を書いたり翻訳をしたりしていただけなんですが、スライドにある三つ(原生林保護、使用済み核燃料中間貯蔵施設、ごみ処理)以外にも、細かく数えると10個ぐらいコミットした問題がありました。今日は主なケースを三つ少し詳しくお話しして、後の問題につなげていきます。


屋久島は森が目玉となって、ユネスコの世界自然遺産に1993年に登録されました。その前史を紹介すると、日本が戦争に負け、国としてはもうほとんど破産状態になって、今のようにだんだん復興してくるときに、戦後導入されたチェーンソーという石油の力で木を簡単に切り倒すすごい道具がどんどん入ってきて、屋久島の森も国による大伐採を受けました。詳しく言うと農林水産省の林野庁の営林署が、屋久島の原生林の特にお金になる太い木が生えているあたりをバッサバッサと切りまくったのです。

 1950〜60年代のちょうど高度成長期といわれる時代に大伐採が進み、その切ったお金で日本の復興をかなり支えたと言われています。有名なヤクスギが生えているあたりにヤクスギとモミとツガという三種類の針葉樹の太い木が密集し、その他にも多様な木々や植物やサルやシカなどの動物も生息するみごとな生態系を、あっというまに丸裸にしていきました。屋久島の一番高いところが標高2000m位なのですが、その中間あたりにいわゆる屋久杉原生林があって、そこをドドドドドドっと切っていって、今では元々の原生林の4割残っているかどうか――それほど切り尽くしてしまったわけですね。

 大木をお金に替えて日本の復興を支えたけれども、それだけ短期間に切ってしまうとやっぱり害が現れて、1960年代の終わりぐらいから麓の村を土石流が襲ったり、目に見えた被害が生ずるようになりました。それを見た人たちが、最初は地元出身の青年たちがU ターンして、戦後でも一番早く原生林の保護運動が起こります。U ターンの青年たちや一番早く都会から移り住んだ人たち、それから島で元々生きている人たちが協力して、最後は国会を動かすような原生林保護の運動が起こり、かなりブレーキをかけたんですね。でも止まったわけではなくて、僕らが移り住んだ1982年以降もずっと原生林の伐採は続いていました。

 屋久島の真ん中は山で、人が住んでいるのは海岸沿いの周囲だけです。その周回県道を大型トラックがばぁーっと通っていく。荷台には直径が2mも、時には3mもあるような木が僕が移り住んでからもどんどん切られていくという状態があって、「ちょっとひどいな、もう止めてもよかろうに」と思いながらも、直接的には何もできないでいたんですが、1991年か92年のあるとき、当時の町長が、僕を含めて外から移り住んだちょっと口うるさそうなの人間が顔を合わせる場にやってきて、実はこういうことがあるんだよねという情報をリークしてくれました。日本の森を切って管理する林野庁が、屋久島の伐採はもう止めるんだけれど、最後の最後の伐採計画の中にある森を含めている。その森はうちのすぐ近くを流れる川の源流の森で、屋久島に残された原生林としては数少ない、まとまった素晴らしい森なんです。そこを最後の最後に切る。「エーッ、それはもったいない!」という話でですね。

 町長としては、自分でどうにかできるとは思えない。しかし、なんとかしたいという気持ちが強かったのでしょう。だから僕らに漏らした。僕自身もあんまりだと思ったので、外から移り住んだ人間や元々の島民を含め何人かの有志で相談して、二つのことをやりました。1990年代はじめですから、まだ電子メールなんかない時代です。

 一つは、屋久島の森を管轄するのがなぜか林野庁熊本営林局なんですね。そこで、森林の保護に取り組んでいる個人や団体にできる限り声をかけて、日本の国内からも世界中からも「この源流の森を伐る計画を止めてください、見直してください」という意見を、この役所にFAXで集中させました。

 もう一つは、原生林の見学ハイクというイベントを企画し、鹿児島の主力新聞とかテレビに呼びかけ、島の人たちにも呼びかけて、実際にそこを見てみようというハイキングをやりました。

メディアも含めて50 人くらいでそこへ行ってみると――僕もそのとき初めてそこへ行ったんですけれども――ほんとに素晴らしい森でした。これを伐るなんてとんでもない、信じられないというような気持ちを、メディアの人たちも含めて共有できたんです。そのおかげで、新聞もテレビも割合大きく取り上げ、結論からいうと、FAX作戦とメディアが取り上げてくれたこととで、町長が「あのね」と情報を漏らしたときから三週間もかからずに、熊本営林局が計画の断念を発表しました。日本の僻地の離島で国の計画が止まるということは、非常に珍しい成功例の一つです。

 屋久島は翌年か翌々年、ユネスコの世界自然遺産に登録されたんですが、このとき守れた原生林は登録地域のなかに入りました。つまり、その森が自然遺産として評価される要素の一つにもなったということで、大きく貢献した。今考えると非常にラッキーなアクティビズムだったと思います。


 2番目の「使用済み核燃料」というのは、日本の原子力発電所から出てくる燃えさしです。核燃料を原子炉で燃やし、お湯を沸かして電気を作った残りの燃料を貯めておくところが必要です。しかし、燃えさしと言っても核燃料は相当の放射能と熱を持っていて、ちょっとその辺にあったら死んじゃうぐらい危険なものなんですけれども、普通は原子力発電所の敷地の中に水を張ってあって、そこに燃え残りの核燃料を冷やしながら保管しています。ところが、日本中の原子力発電所でこのプールがいっぱいになりかかっているんです。いっぱいになったらどうなるかというと、新しい燃料を入れられないので止まっちゃうんですよね、原子力が。なおかつ、もう一方では昔から原子力は「トイレなきマンション」と言われるように、一番最後はどうしたらいいのか、まだだれもわかりません。放射能を無害にする技術もないし、できるのは目の前からなくしてしまい、地中深いところに埋めて、「あとは知〜らない」というくらいしかない。いまでもそうなんです。

科学技術として解決がない、ないのに動かしちゃっているんですけれども、結局、日本で最後はどうしたらいいかというのがわかっていないために、原子力発電所の中に貯まっている使用済み燃料をどうするかわからないですね。そうすると止まってしまうから、とにかくどこへでもいいので外へ出したい。それで「中間貯蔵施設」という名前をつけて、原子力発電所の中から中間的に出しておいて、最終的なやり方がどうなるかわからないけれども、決まったらそちらへ動かそうという、いい加減なものが中間貯蔵施設です。日本全国いろいろなところで、水面下で地元の有力者と地元出身の政治家と、政府と電力会社が画策して……この手の計画はかならず水面下動くんですね。原子力だけではなくて、日本では公共事業でもなんでも、政府が絡んでとくに住民にとってあんまりありがたくないような計画は、もう水面下で進んで、お膳立ても済んで、根回しもすべて終わって、場合によっては計画も決まって、工事が始まって初めて住民が知るんですね

「え、そんなことあったの?」って、何でも水面下で動くんですが、1998年だったか隣の種子島にそういう中間貯蔵施設の計画がどうもうごめいているらしいという情報が入りました。種子島と屋久島って、ものすごく近いんですよ。一番近いところで12キロぐらいしか離れていない。天気のいい日なんかは、屋久島から種子島の海岸に立っている人がわかる。(笑)まあそれはオーバーとしても、とにかく相当近い。幸い屋久島が1993年に世界自然遺産に登録されたので、「それはないでしょ」という話です。せっかく世界自然遺産になった屋久島のすぐ隣の種子島の、そのまた小さな離島なんですよね。そんなところに何万年、何千万年も放射能を出しつづける核廃棄物を置いておけるのか――まったく危なっかしい、不安定なちっちゃい小島に作ろうとしているわけで、何か事故でも起これば、やっぱり人間だけじゃなくて、いろいろな生物にも放射能の被害が出るはずです。

 だいたいみんな聞いた途端に「それはない!」と思います。幸いこのときも、外から移り住んで、わりとこういうことを良く知っている人たちが、まずきっかけをつくりました。僕自身も若いときから、原子力発電というのは核兵器と同じように人間社会や生命世界とは両立しないと思っていたので反対でしたけど、でも好きで移り住んだ屋久島の目と鼻の先にそんな計画が起こるなんて、とんでもないと思いました。そういう気持ちを持つ人がすごく多かった。もともとの島の人たちも同じ気持ちで、議員とか町長とか市長とか、そういう人たちも相当ショックを受けたようです。

 どうもそういう計画がうごめいているらしいというのを聞いてから、やっぱりそんなに時間はかからなかったのですが、三ヶ月ちょっとぐらいで、まず僕が住んでいる屋久島の南の自治体で先手を打ちました。今は合併して一つの自治体になったんですけれども、その当時まだ二つに分かれていたのです。地方自治体では “自治体の憲法”とも呼べる条例というものが作れます。そこで、「核物質持ち込み拒否条例」という条例を制定しました。住民と議員と行政側の町長が割と気持ちが一つだったのでスピード成立して、それが近隣の自治体に野火のように飛び火し、最終的には一市三町、さらに西隣の十島村(としまむら)でも少し時間をおいてですがほぼ同じ内容の核物質持ち込み拒否条例ができて、まわりじゅうの自治体で包囲してしまったんですね。

 核物質に関しては、核兵器に関するものも原子力に関するものも未来永劫我々の地域には持ち込みさせませんという条例を作っちゃった。これは結構強いんですよね。地域の意思表明としては最高に強いと思います。でも、実際にもし国と地域とがほんとに真っ正面からぶつかって、国がゴリ押ししてきたときどの程度の効力があるか、拒否しきれるかはクエスチョンマークがつくんですが、でも意思表明としては一番強い。これによって、水面下で動いていた計画は完全に潰すことができました。

 周辺の自治体で拒否条例が出そろったときには、計画を進めていた人たちはがっくりきたでしょうね。これもラッキーな要素がいっぱいあって、わりと短い時間で、日本の僻地というか地方で、国が進めようとしていた大きな計画を断念させた成功例です。


 三つ目は、どの自治体も苦しんでいたり問題を抱えていたりするゴミ処理です。屋久島でも大きな問題でした。僕が移り住んでから一番心が痛かったことの一つは、古い焼却場があって、一応建前上はそこへゴミを持っていって燃やすんですけど、南北二つの町のどちらも老朽化していて、まともに動かない。動かないとどうなるかというと、焼却施設の外の地面に大きな素堀の穴を掘って、そこに住民たちがどんどんゴミを投げ込んで、さらに上から重油をぶっかけて燃やす野焼き状態がずっと続いたんです。

 一番辛いのは、自分たちもなるべくゴミを出さない生活はするんですが、少しは出ますよね。そうすると、自分もそこへ行って素堀の穴の中へゴミを投げ込んで、重油で燃える煙をかぶる。これはひどいな、自分たちにもよくないし、島の自然に対しても申し訳ないなと思いつつ、でもなかなか打つ手がなくて、心の痛みを抱き続けていました。しかし、いまお話ししした二つの事例などがあって、地域で一定の評価をいただけるようになった。もちろん僕だけでこんなことができたわけではなくて、いろいろな仲間たちと一緒に動いた結果です。熊本でもそうかもしれませんが、外から入った人間がものを言うのはやっぱり難しいんですよね。普通は生意気なことを言うと嫌がられる。屋久島では「三代住んでもよそ者」という言葉があるくらいです。それが僕のような移住一代目が口を出せば、当然風当たりは強い。けれども、うるさいながら結構結果を出すし、言っていることは当たっていたりするし、実際島のためになっているなと、多少は評価してもらえるようになりました。

 このゴミ処理の問題が起こる前に、屋久島がせっかく世界自然遺産になったんだから、役場に環境専門の部署がないのはおかしいのではないかと提案して、環境政策課ができました。また、行政と住民の橋渡しをする仕組みとして審議会というのがあって、普通はただ行政の計画をしゃんしゃんと承認するだけのお飾りが多いんですけど、そうじゃない環境審議会を作りましょうと提言し、最初から僕も入って“闘う審議会”を自負しながら、1999年から2005年にグリーンピース・ジャパンの事務局長になるまで、その環境審議会の会長を務めました。

 そのときにやった主な取り組みがゴミ処理でした。というのは、いまお話ししたようにずっと胸を痛めていたところへ、二つの町合同で新しい施設を作ろうという計画が持ち上がったからです。せっかくなら世界に胸を張れるような素晴らしいゴミ処理施設を作りましょうと、いろいろな提案をしました。結論からいうと、僕が理想的と思う形の55〜60%ぐらいしか達成できなかったんですけど、住民を巻き込んでなるべく透明性の高い話し合いをして計画を吟味し、屋久島にふさわしいものを作るということを三年ほどかけてやりました。行政に片足突っ込んでいると抵抗は強いし、かなりの大仕事でした。

結論としてどんなものになったかというと、屋久島は水力発電所があって、島で使う電気を全部自給しています。生活用の電気は発電量の30%ぐらいでまかなえているんです。他の場所だったら電気の選択肢というのはないでしょう。電気を熱源に使うのは一番効率の悪い方法ですから。でも、屋久島では化石燃料を使う代わりに電気を使うという選択肢がありました。原則は、とにかくまず燃やさない。その前提として、なるべくリサイクルと再利用をする。分別を徹底して、最後の最後にどうしても残るものだけを、電気で炭にする炭化炉が第1段階。小っちゃいものですよ、4t くらいかな?

その炉で炭にしたものを、当初の計画では島内の民間産業で有効利用できるというので賛成したんですが、途中でその炭の有効利用が消えてしまって、結果的には第2段階のプロセスで、溶融炉のコークスの代わりにゴミから作った炭を使うことになりました。どうしても処理が難しい物質だけ溶かして、最終的にスラグという鉱物のようなものにする。メーカー側はスラグについて、安定性が高く、道路の舗装材料にも使えると主張しますが、僕は有害物質が溶け出す疑いを捨てきれません。

第3段階は、いわゆる管理型の最終処分場です。ただし、よくあるような野ざらしの埋め捨て場ではなく、最小限の大きさで屋根がついたストックヤードです。そこで、スラグを含めてどうしても再利用できないものを管理するわけですが、今はダメでも将来リサイクルしたり再生したり有効に利用できるはずなんですよね、すべての物質は。ですから、そういうものを区別した状態でとっておくストックヤード的な最終処分場。以上が、屋久島で新しく建設したゴミ処理施設の三点セットです。さっきお話ししたとおり、僕としては6割くらいしか納得していないんですけれども、いろいろと難しい条件の中では致し方なかったと思います。

三つの事例に共通する鍵の一つは、情報をどれだけ共有できるかですね。自分だけが知っていてもしょうがない。自分や仲間同士で勉強しながら、いろいろな人を呼んだりもして、そういう情報を行政も住民もメディアも区別なく、なるべく広く共有しました。


 辛いのは(中国に持ち込まれた電子部品のゴミをスライドで見せながら)、ゴミ問題は仮に屋久島や日本で上手い処理ができたとしても、そこで溢れていく部分、はみ出していく部分がかならず、もっと規制の弱い場所、ほとんどの場合は中国をはじめとする途上国へ出て行って、こういう状態を生み出してしまうことです。一つのところだけやって済むかというと、そうでもない。”Think globally, act locally”でいいかというと、そんな奇麗事ではないという意味で、改めてこの言葉を噛み締めたいと思います。


 次は「アクティビストの7つ道具」と銘打ちました。とくにアクティビズムをやりたくて屋久島で暮らしていたわけではまったくありませんが、なりゆきで経験をしたこと、その上で三年間、グリーンピース・ジャパンの事務局長を務めてきて、いろいろなアクションをやるときに7つぐらいの鍵があるだろうというご紹介です。

1つ目は初期情報です。なるべく早い段階で情報を掴むことが決め手になるのは、これまでの実例でもおわかりでしょう。日本のような社会って、決まっちゃったことを止めるのはものすごく大変ですよね。皆さんも経験があると思いますが、とにかく早い時期に情報を掴んで、計画を水面下で画策している人たちよりも早く止める方の手を打つというのが、より良い方向へ舵取りする秘訣です。手を打つのは早ければ早いほどいいので、情報を掴むのも早ければ早いほどいい。初期情報はものすごく重要です。

2番目は調査・分析と難しく書きましたけど、その問題はなんなのかということをきちんと知ること、理解することですね。

 3番目は、そこまでの情報と調査・分析にもとづいて戦略や戦術を立てる。これも字面は難しいですが、要するに良くない計画を止めるなり、あるいはより良い計画に変えさせるなり、目的に向かって何と何をどういうふうにやったらいいのかという見通しです。戦略と戦術の違いは、戦略のほうは大きな枠組み、戦術はその大きな枠組みの中でとる具体的な行動であったり、手立てだったりする。そういう戦略・戦術を、ある種デザインすることと考えてもいいでしょう。こういう上手いツボをつくと上手い方向に展開するとか、「No, No」と言っているばかりでは共感を得られなかったり、問題が動かなかったりする場合が多いので、これはNoですけどこっちはYesですよという代案をはっきり示す。そういうことを含めての戦略・戦術の立案です。

4つ目に大事なのは情報です。調査・分析や戦略・戦術をどれだけ幅広く伝えられるか、情報を共有すること発信すること――。中でも、マスコミを含むメディアをいかに上手く使うかが鍵になります。なぜなら、普通は個人や地域のグループが自分たちだけで十分な数の人々に伝えられるかというとなかなか難しいわけです。グリーンピースだってそうですよ。やっぱりメディアというものが増幅器のように、その問題なり解決法なりをより広い人たちへ向けて、自分たちに代わって発信してくれるかどうか、メディアのもつ機能をどれだけ上手く利用するかは大切です。もちろん、今ではインターネットのような便利な媒体が使えますから、自前で発信することも重要です。

 5つ目が参加の拡大。これは良くないよね、こういう方向の方がいいよねということを共有して、同じように声を上げられる人、一緒に手をつないだりして動いてくれる人をどれだけ増やすか――それが参加の拡大で、これも大きな鍵ですね。普通は個人や人数の少ない仲間内で「困った問題だ」、「これは気に入らない」と話し合っているわけですが、それだけじゃ変わりません。問題意識と解決への道筋を、どれだけ広く共有できるかが大事です。

 6つ目が交渉です。実際に問題の相手方になるような人たち、それからいろいろな意味の問題の関係者たちといかに交渉をして、自分たちが考える解決策なり、あるいは計画中止の意義なりを伝えるか。ベストなのは自分たちの考えるとおりの結果を出すことですけれども、実際それに向かって交渉することですね。政治的にはロビーイングと言って、地方議会の議員や国会議員、あるいは役所の担当者たち、官僚たちに、実際に働きかけたり話をしたりする、そういうことも含みます。これも交渉なくしては結果が出ないので、とても大切ですね。でも、それまでに1〜5までをどれだけしっかりやるかが交渉の力になるわけです。

 最後の7つ目は妥結です。僕は普段あんまり使わない言葉なんですが、このパワーポイント資料を作るときパッと出てきて、日本語はなかなか言い得て妙だなと思いました。妥結には妥協の「妥」が入っています、結は結果の「結」。最終的にどういう結果を導き出すかということですね。1〜6のステップを踏まえて、もちろん自分たちが目指す100をとれるのがベストですけれども、現実の世界では悲しいことにめったにありません。100を目指して、普通だったら40位をとれればいいほうでしょうか。100目指すうちのどこまでとれるかという判断、交渉の結果の綱渡りとか、せめぎ合いを含めて、結論を出すということです。でも一番は、よくWIN-WINと言われるように、直接の関係者がなるべく「そうだよな」と納得できる形がいいわけです。無理やりな形で結果を出しても、やはり納得できない感じが残ると、あまり結果が長続きしなかったり、あるいは反作用で変なところに違う計画が出てきたり、いろいろあるんですね。自分たちもここは呑まなきゃいけないけど、でも大筋においてはわかったと、自分たちにとってもいいことなんだと思える結論が長続きします。

 それにはある種の妥協の余地が必要な場合もあります。しかし一方では、自分たちがここはどうしても譲れないというところを捨ててしまったら、やっている意味がありません。そういういろいろな要素を含めて、この7つ道具を使っていくわけです。









写真はグリーンピースの活動の中から手元にあったものを張りつけてみました。アクティビズムにもいろんな形があるという一例です。グリーンピースというと、どうせ欧米先進国の白人がやっていることだろうなどと言われますが、まったくの誤解です。グリーンピースはいい意味でものすごくグローバルな組織で、90年代ぐらいから他のどんなNGOよりも先に、中南米、アジア、中東なんかの難しい地域にも活動を広げ、今年はアフリカにもグリーンピース・アフリカ支部ができました。もう欧米中心でやっていられる時代ではありません。今日お見せするのも非欧米地域での写真ばかりで、これはインドネシアでの再生可能エネルギーのキャンペーンですね。


こうしたアクションとかアクティビズムというのは何なのかについて、いろいろな整理の仕方があると思いますが、僕なりに感じるのは、社会をデザインしているということです。日本人は社会の仕組みとか国とか、そういうものをあまり「道具」とみなしませんよね。しかし実際には民主社会ですから、政府とか制度とか全部含めて、社会というのは道具、つまりツールです。自分たちが作って、使って、出し合った税金をなるべくいい形で使うための道具です。ところが、日本の長い封建時代の習い性というか、どこか上の方から命令されて、自分たちはしかたなく黙って従うだけ、ぶつぶつ文句は言うけど従うしかないというような感じが結構強いじゃないですか。でも、そんなものは民主社会じゃありません。

 僕が日本で一番嫌いなのは「和」です。日本の美徳は「和」だとか言われるけど、日本の和というのは、本当の意味でそれぞれの人たち、様々な要素が多様性を生かしたまま調和するという意味の「和」ではなくて、どこかで決まったことをじっとこらえ、その一つの意見に対して最初からみんなが空気を読んで黙っている――それが日本の「和」だったりするので大嫌いなんです。

社会というのは道具で、それをデザインすることが重要で、そのようなデザイン的な感性をこれからどんどんいろんなこと、とくに社会に関わること、社会を営んでいくことに取り入れて、たくさんの人たち、とりわけ若い人たちが参加していくことが本当にいい国を作り、より良い地球社会を作っていく鍵だと思っています。

 さっきの7つ道具の中でデザイン的な感性を生かせるのはどの部分かというと、主に三つあります。まず戦略・戦術のデザインとは、一つの問題があったときに、次はこうしてああしたら解決できるだろうというような、解決への見取り図をデザインすることです。そこによりアーティスティックな感覚や、デザイン的な感覚をもった人たちが入っていくことによって質を向上せさられる、アップグレードできるでしょう。それから2番目に大事なのは、情報を発信し共有することですね。これはもう、皆さんが普通にやっています。ポスターだとかチラシだとかWEBサイトだとか、わかりやすくてみんなが共感しやすい形、ファッショナブルなもので引きつける。たくさんの人が参加しやすいものを作っていくことが大切で、それはもっともっと進めていったらいいと思います。

 もう一つ大事なのは参加拡大のデザインです。いかにしたら輪を広げられるかということでは、例えばいろんな人が出会ったり、話し合いをしたり、物事を決めていくための場を作るデザインもあります。ヒューマンチェーンと書いたのは、文字どおり人間の鎖を作るという狭い意味だけではなくて、人と人がいかにつながっていくか、人脈を作っていくか、そしてつながった人々が力を合わせて問題を解決できるように結びつけていくかのデザインです。それから、インターネットを使える今はアクティビズムにとって便利な時代ですが、でもより効果的なインターネットの使い方ももっともっとあるはずです。この三つぐらいは、とくにデザイン・マインドというかデザインのセンスが生きてくるだろうと思います。

 これから数枚のスライドは、とくにデザイナーが関わったわけではありませんが、活動とか運動といえば昔ながらに「闘うぞ〜」とかやっているのは、もうほとんど効果がありませんよね。むしろみんなを遠ざけてしまったり、参加する人たちを狭めてしまったりする。そうじゃない形を探っていって、たくさんの例がある中の一つです。

 もう一つは、いろいろな破壊とか惨状を伝える方法について。グリーンピースは現場に行って、そこから伝えることが一番大きな仕事の一つですが、森林破壊のものすごく悲惨な現場を伝えるにしても、表現は悪いかもしれませんが“美しい伝え方”というのがあると思います。美しくて興味深い伝え方をすることで、「これはなんだろう?」と目を止めさせる、そして「もっと知りたい、どうしたらいいんだろう」と、そういう気持ちにつなげていくような伝え方があるんです。グリーンピースはそういう意味でもずっと工夫を重ねてきていて、毎年のように世界的な写真や映像の賞をいくつも受賞しています。とても悲惨なんだけど、興味深くて目が止まる、その写真なり映像そのものが作品になってしまう――そんな伝え方もあるんですね。また、文化がすごく多様な世界ですから、それぞれの文化に根ざした活動をする、それを形にしていくのも大事です。


 次に、今まで僕が本を書いたり翻訳をしたり、地域で行動したりしながら、この30 年くらい人間と自然との関係を見てきて、何となく頭の中を整理したことを話します。三つのスフィア(領域、圏域)です。一つ目の一番大きいのが「地球生命圏」、あるいは「地球生物圏」ともいいますけど、英語ではBiosphere です。そして二つ目が左下の「人間社会圏」、英語も僕の造語でSociosphereです。三つ目が右下の「科学技術圏」。英語はこれも僕の造語でTechnosphereです。

地球生命圏は、別な言い方をすると自然生態系です。この地球上のまとまりとしての自然生態系で、それは長く見れば宇宙が初まって以来250億年だったかな、地球ができてから46億年、生命が地球上に誕生してから36億年という長い長い時間の中で、少しずつ少しずついろいろなプロセスを経て、今最終的には皆さん人間一人一人を含めて、外のイチョウの樹や、空気中のばい菌や、腸の中にも微生物がいますけれども、そういうすべての生命の生態系として、いままで進化してきたものの全体です。そこで、どういう特徴を持っているかというと、非常にたくましい。そして完成度が高いですね。

 よく「自然にはかなわない」って言うじゃないですか? 皆さんもいろいろなときに感じられたことがあるでしょう。人間が自然の真似をしようとしたり、代わりになるようなものを作ろうとしても、とうていかなうレベルではないし、それほど完成度が高い。もちろん人間もその中に入っていますけれども、人智の及ぶところではないぐらい完成度が高い。そして、一面では弱いようだけど、全体としてはたくましい。これだけ長い間存続してきたわけですから。一説によれば、地球の歴史の上で生命が全滅に近い状態になったことが何度もありました。でも、そこからまた盛り返して、こういう多様な生態系を作り出しているわけで、それだけの完成度、たくましさを持ち合わせています。

 次の科学技術圏とは、人間が作り出した道具の体系です。古くは石器から始まって、今はパソコンからインターネットから原子力まで、そういうものを全部含めた道具の体系ですね。それは自然にはかなわないけれども、人間がそれぞれの場所で、それぞれの条件の中で必死に生きようとしてきた、工夫を重ねてきた、その道具立ての集大成ですから、やはりそれなりの完成度があります。それなりに筋が通っている。もちろんいい道具もあるし、悪い道具もあって、使い方が悪ければいろいろと被害を起こしたりもします。しかし、自然にはかなわないとはいえ、道具の体系そのものとしてはそこそこ完成されたシステムです。

 三つ目の人間社会圏とは、我々が何か物事を決めたり意思決定したりする、集団的な合意形成、意思決定のシステムです。長い間考えてきて僕なりに整理できたのは、この三つの中で人間社会圏がものすごく進化の度合いが低い、まだ未熟なんですね。そのために、道具の体系を自然の生態系と上手く織り合わせたり、共生させたり、調和させたりするように使えない。そういう道具を作ろうという方向づけも不十分です。一番完成度が高いのが地球生命圏で、2番目が浅はかな人為・作為でありながら道具の体系もそこそこの完成度はある。けれども、人間社会圏があまりにも幼稚で未熟なために、その道具の体系と自然生態系との間にいろいろな摩擦とか衝突とかギャップを作ってしまっている。それが環境問題だと、僕には見えます。

 それを変えていくにはどうしたらいいか。もちろん、道具立てを変えたり、良くしていったり、使い方を改善したりすることは大事ですが、そのためには人間社会の集団的な意思決定をもっともっとレベルアップしていかなければならない。今はあまりにもお粗末すぎて、問題を起こしてしまっているというのを整理したのがこの三つの構図です。

(写真を見せながら)たぶん、これはインドネシアの泥炭地です。森林を伐採すると乾燥化して、ちょっとした火の不始末や自然発火でどんどん燃え広がり、消せなくなってしまうんですね。1990年代ぐらいから、夏になるとインドネシアの熱帯林の上空に、飛行機が飛べないくらい煙が立ちこめて消えないという現象が起こっています。そういうものも、地球生命圏と人間の道具の体系との摩擦や乖離によって起こっている。じゃあどうしたらいいのか――。人間社会圏が問題だと僕は思うんです。そこをレベルアップするためには何をしたらいいのか、その課題が一番大きいですね。

 英語のガバナンス、よく日本語でもカタカナで使います。普通は「統治」と訳語を当てますが、統治という言葉は上から見下すみたいな語感があってしっくりきません。ガバナンスとは「自治」なんです。自分たちをいかに治めていくか、マネージするか。究極的にいえば地球生命圏、つまり自然生態系と、自分たちの暮らしの体系とを本当に調和させることができるかどうか、その営みがガバナンスです。もちろん自分たち同士が仲良くして、戦争しないということは当然のはずですけれども、その当然のこともできない悲しい状態ですよね。

自治=ガバナンスに関しては、先ほどからお話ししているように、集団としての合意形成をどれだけより良いものにできるかがすごく問題なのですね。なぜなら、例えば日本の場合、一人一人とか、一つ一つの企業は結構善意なんですよ。いいことをやろうとしているし、一所懸命生きているし、そこはかなりいい線いってるんだけど、集団として合意形成し、集団として物事を決めようとすると、どうもおかしくなってしまう。一番典型的な例が議会です。一人一人が選挙権を使って代表を選び、そして最終的な意思決定が日本の場合は国会ですね。そこで何が決まるかといえば、一人一人の個人や、一つ一つの組織がそれぞれ持っているいいものが生かされて最高の意思決定ができるのではなく、一番上の国会で決まると最悪の結果だったりするわけです。それほど難しいというか、日本人は特に下手くそなんだと思います。集団的な意思決定、合意形成において、どれだけ優れたレベルの高い決定ができるか――だから過去の戦争もあれだけバカなことをやって、いまだにだれも責任を取らない。また同じようなことをすぐ繰り返しそうな人がどんどん現れてきても、だれも止められないみたいな、ちょっと悲しすぎる社会ですね。

 日本社会のそこのところをどう変えていくかが本当に大事だと思います。そのときに重要なのは公正性、公平性。それから合意を形成したり、意思決定したりするときに、どれだけみんなが理解を共有できるかということ。言葉をかえれば、どれだけみんなが納得できるか。先ほどの「妥結」ではありませんが、まあわからないところもあるし、呑めないところもあるけど、全体としてはこれでいいんだという理解と納得が、どれだけ高いレベルで共有できるかが鍵です。

ガバナンスにおいて、一つは水平の広がりがあります。それは何かというと、人間社会の横のつながりをもちろん大事にしていくことであり、そのとき公平性・公正性を実現していくことが重要です。さらに、皆さんもそうですし、環境とかエコロジカルな分野で考えたり行動したりする人たちの間では、人間社会を含んでさらに生態系全体の健康とか持続可能性をめざそうとする、生き物の世界まで関心とケアの輪に取り込もうとする、いわば水平的な意識の広がりがあります。

 でも、それだけではまだ足りない。もう一つ垂直の軸があって、これは世代から世代へという軸です。例えば地球が初まって46億年、生命が発祥して36億年、人間になってからでも100万年ぐらいとか、ずっと代々代々命を繋いで、必死で生きのびてきたんですね。良かれと思ってやってきて、我々がここにいるということ、外にイチョウの木があって、葉を落としていること――。この現状は、こうした代々の営みがすべて成功して、選り抜かれて、超ラッキーなものが残って、このように現出しているわけで、それをやはり末永くこれから先も代々命を引き継いでいきたい。このような垂直の広がりも、世代間の公正性・公平性も、ものすごく大事だと思います。


 最後にもう一つ、集団的な意思決定や合意形成、ようするに民主社会をもっと本物にしていくための鍵があります。じつは民主主義って、まだどこにも完成形がないんですよ。デモクラシーというのは永遠に現在進行形の実験みたいなもので、まだまだ客観的に言うと始まったばかりの実験だと思います。それでも、民主社会の一番大事な原則の一つは三権分立です。立法と司法と行政という三つの権力が、本来ちゃんと独立していなければならない。そして三つの間を双方向の矢印が結んでいますけれども、「チェック・アンド・バランス」といって、それぞれ独立しながら三権同士が互いに他の二つをきちんとチェックし、おかしなことがあれば直していくような働きかけをする。それで初めて民主社会が成り立つんですね。

 さらに民主主義の伝統というか歴史の中で、この外側に第4権というものがなければならない、必要だと言われてきました。伝統的にはメディアが第4権でした。昔だったら新聞とか、今はテレビとか、いろいろな情報を広く伝えていく媒体が第4権と言われてきたのですが、僕はこの第4権の中に今はNGO市民セクターが入っていると思います。

 第4権はメディアとNGO市民セクターが両方含まれていて、なおかつメディアとNGO市民セクターは一種の共闘関係にあり、ともに三権を監視して健全な働きを担保する役割を担いながら、ある意味では分業している。一番わかりやすいのは、災害現場に行ったときメディアは報道するだけですね。冷酷なようだけど、ただ報道するだけ。それはそれでいいんです、分業だから。一方、NGO市民セクターは現場に行ったら実際に手を出します。同じ第4権だけれども、一緒に力を合わせる部分と分業の部分がある。それによって三権の機能を外側から監視し、三権がきちんと動くように働きかける役割があるんです。

ところが、日本の場合はこの三権が分立なんかしていません。みんな団子みたいにくっついちゃっていて、ものすごく危ない。民主主義になっていない。だとしたら、もっともっと第4権が大事なんです。三権に対して「ちゃんとやれ」、「それぞれがしっかり独立しろ」と警告し、三権同士のチェック・アンド・バランスがないと民主主義にならないということを第4権が本当にもっともっと強い力と声で働きかけなければけないんだけど、日本はメディアさえも、とくにマスのメディアは分立なき三権と一緒になっちゃって、どうにもならないくらいですね。

 だとしたら、NGO市民セクターの役割がいよいよ大きくなります。場合によってはNGO市民セクターが独立系メディアの役割も果たして、両方やらなければいけないほど重要です。第4権がしっかりしないと、これからの日本はどうなってしまうかわかりません。民主主義なのか独裁国家なのか定かでない状態になりかかっているので、NGO市民セクターはものすごく大事だと思います。だからこそ、日本にグリーンピースが必要なのです。


© Jun Hoshikawa 
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